(´;ω;`)ウルッと来る


 ℃-uteブログ見たんですが、舞美さんの記事がねえ・・・

 
 舞美エエ子や・・・・


以下コピペ


(引用開始)
おはようございます舞美です


6月30日
今日、めちゃめちゃ早く目が覚めました
まだ家族も寝ていて、家の中はとっても静か…
外では小鳥がチュンチュン鳴いている中、私はソファーに座ってブログを打ってます


今日は私たちにとって、とっても大事な日なんです
9年前の今日が無かったら、今の私は違う人生を歩んでいたかもしれません。


2002年6月30日は
私たち℃-uteや、Berryz工房のメンバーがハロー!プロジェクト・キッズオーディションに合格して
ハロー!プロジェクトに仲間入りした日なんです


今、思えば、恥ずかしがりやで、人前に出るのが苦手だった私がなんでオーディションを受けようと思ったのか本当に不思議です


私をよく知っている母の友人も、『舞美ちゃんは一番こういう仕事をしそうにないタイプなのに不思議だね』ってよく言っているそうです。


(中略)
親友にたまに会った時、バイトの話だったり学校の話を聞いていると、
『舞美がもし、この仕事をしていなかったら今頃何してたかなどんな仕事に就いてたかな』
ってよく言われます


確かに、私が『オーディションを受けよう』と思ったあの日がなければ、私はアルバイトをしながら大学に通って、親友たちと同じように日々を過ごしていたかもしれませんね


人生のうちで転機というものが何回あるのか分からないけど、2002年6月30日は今までの人生で1番大きな転機だったと思います


あの日があったから、℃-uteやスタッフさん、そしてファンの皆さんに出会う事ができました


あの日があったから、歌やダンス、お芝居の楽しさを知ることができました
あの日があったから、家族やたくさんの方に日々支えられている事を知りました


敬語も使えなかった小学生から、礼儀や常識をたくさん教えられ、人としても成長させてもらったし、
怒られてばかりの時期や、先が見えなくて苦しいときに、諦めてしまいそうになった事もありましたけど、
今思えば、それも全部必要な事だったんだと思います


結局、思い止まったのは、今辞めたら、これまで頑張って来たことや、我慢してきたもの、家族に迷惑をかけてまで、やってきたものが全部、水の泡になってしまうと思ったから。


そしてなにより、応援してくれている人たちに申し訳ないと思ったから。


辛いとき、皆さんの応援には何度も何度も助けられました。


どんな人生にも必ず辛い事や、辛い時期があると思います。


きっとこの先も壁にぶつかることがあると思いますが、
頑張ってきたものが自分を救ってくれると思うから、どんな時も頑張り続けたいです


この9年の経験は私にとって本当に宝物


これから、10年、11年、12年…と、もっともっと、たくさんの経験を積んで行きたいです


昨日のソロイベントについても書こうと思ったのに、長くなりすぎてしまったので、また明日書きますね


ご飯食べたり、支度したり、いろんな事をしながら合間合間でブログを打っていたらこんな時間だぁ
もう、こんにちはの時間ですね


ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
これからも末永く応援よろしくお願いします
(引用終)


 なんかねえ。ウルッと来た。おっさんだからこんな話には弱いのよ
 そうだよな。キッズがいなかったら、ここまでヲタになることはなかっただろうし、田舎で代わり映えのしない毎日を過ごしてただろうな。まあそれが良かったのかも知れないけど。こんな刺激的な生活は体験できなかっただろうな。
 

 なんか浮かんだ曲
 



 この話は続きがありまして・・・・


(引用開始)
……只今電車の中なんですが電車を間違え気が付いたら栃木県まで来てしまってました


1時間の遅刻…
あああしっかりしろー自分ー


(引用終)


 やっぱり舞美さんは和むなあ。
 それはそうと、このネタは鉄ヲタとして熱くなるものがありますなあ。
 乗り間違えたのは宇都宮線伊勢崎線か・・・
 でも一時間でリカバリー出来るってことは、小山からなすので都内に行ったのかな。
 だとしたら宇都宮線かな。
 興味が尽きないなあ。


 ではこの辺でバイバイ