学園紛争の時代


 たまたま見た東大安田講堂のドラマ。

 それなりに面白かったです。

 そうゆう時代だったということもあるんでしょうけど。



 なんか最近俺どうしちゃったんだろ。こんなエントリ増えたな。



 (以下現在の価値観に毒された者が見た感想になります。当時の空気を感じているわけではないので見当違いな感想を言っていることがあるかもしれません。ご了承ください。)



 なんかねえ、学生の身分に甘えている身勝手な連中に見えた。
 現在のインターネット時代と違い、様々な情報に接することが出来たのは彼らのようなインテリだったのだろう。だから夢を見ることが出来たんだと思う。
 それに比べて一般の人たちは、毎日普通に生きてたんだと思う。劇中にも「高卒の隊員のコンプレックス」とか、デモ帰りの学生が自分たちの行動が社会に影響を与えているんだと言い聞かせているところの横で、サラリーマンがお笑い番組で笑ってる描写があった。
 

 学生が既成の大学教育に不満を感じたのは真実だろう。ではなぜ大学を辞めなかったのか?最悪学問は学生でなくても出来るのではないか。
 社会的にも親や奨学金での支援を受けている学生が、何を叫んでも日々一生懸命に生きている一般の人々の説得力はできなかったのだろう。
 彼らの姿を興味本位で見ていた人も多いのでは。
 

 彼らは石油撒いた所に火炎瓶やガスバーナーを使い、場合によっては人が焼き死ぬかもしれないのに、そして、瓦礫を上から落として怪我をさせようとしているのに、自分たちに負傷者が出たら休戦とかw
 身勝手もはなはだしい。
 ベトナムの人々に思いをはせるくせに、心配している親や、怪我をする機動隊員や彼が怪我をすることで悲しむ隊員の家族に思いをはせることは出来なかったんだろうか。
 そして、アメリカに守られた平和の中に入るからこそ学問が出来、思想に浸ることが出来るんだけど。
 
 
 証言者の人にも疑問が、後ろの背景からして立派な家に住んでいる人、国会議員、大学教授とか…


 萎える。


 結局当時彼らが嫌悪していた人たちになってる。結局体制を変えるには体制に入るしかなかったということか。
 この人たちが変えようとしたのかどうかは、わからなかったけど。
 ただ嬉々として話している姿が元暴走族みたいで納得がいかなかった。


 結局最後に佐々淳行さんが言ってた「40度の熱」ってのがこの時代の空気だったのかもしれません。